「自律的な個人」とはどのような人間か

 

20031211

 げんき

 

 自律的な個人とは、自分のすべきこと・目標などについて深く考え、その考えに従って他者に依存することなく自己の責任で行動したり意見を言ったりすることのできる人のことだと思う。

 

 たとえば、全く車が来ていない見通しの良い道路を横断するために、信号が変わるのを待っている人というのはどうだろうか。素早く歩くことが出来ないお年寄りや、小さな子供を連れている人などなら分かるのだが、普通に健康な人が無意味に信号の変わるのを待っている姿に僕は疑問を抱く。

 「自分は絶対にルールを守るのだ」というポリシーを持っていて、ルールを守った上で信号が変わった後も安全に充分に注意して横断するという人なら分かるのだが、大抵は信号が変わると何の疑いもなく横断を始めてしまうような人たちなのではないだろうか。

そういう人というのは、もし安全確認を怠った左折車にはねられたりすると、左折車に全責任を追及する人のような気がする。

 確かに、もしそのような事故が起こればきっと左折車が全責任を負うのだろうが、だからといって歩行者も何の注意もせずにそのような事故をひきおこしてしまっていいのだろうか。

 この場合の歩行者というのは、まず、他者が作ったルールに従い、「信号が青だから渡る」という判断で行動していて、自分の行動について深く考えていない。そして、安全確認もせずに道路を横断したという自分の行動に対して、同じく安全確認をせずに左折してきた他者に全責任を追及するということで、全く自分の行動に責任を持とうともしていない。さらに、交通ルールという「他者」の弱者を守ろうという意志を悪用して依存しきっている。なので、この人は自律的とは言えない。

 

 細かいことかも知れないが、一事が万事である。例え自分が悪くなくても、このような事故を避けるように気を配ることが出来る人というのは、他の色々なことについても深く考えて行動できる「自律的な個人」なのではないだろうかと思う。